ぬかるみがち

見聞私感

変わる

地震によって、公共交通機関がいろいろアレになり

わたしの通勤手段が変わった。

よって、家を出る時間もかわる。

面倒だ、なんて思ってはいけない。

受け入れるのだ。

慣れない駅、慣れない坂道

     ↓

縁あって出会った駅、新鮮な坂道

と変換する毎秒。

こんなとき、デイリーポータルZの読者であってよかったな

と思った。

あのライターならば、こんな状況を冒険心でレポするだろう

あのひとならば、変わった看板をみつけネタの引き出しにしまうだろう

と一生懸命感じることに集中してみる。

はじめて乗る路線バス。

こんな細い道をいくのか、ここで大勢降りるのか

なにがあるのか、さっき通り過ぎたラーメン屋をググろう

あっという間の40分だったりはする。

 

でもこれがいつまで続くのだろうか、とふとよぎると

疲れが重くのしかかってきた。油断したらこうだ。

首元、疲れているんだ、わたし。

見慣れない景色をバスの窓からみつめ

歪な、自分の考えにちかい言葉のパーツを削ったり

重ねたり、どうにかデフラグをしないとだめだ。

どっちにしてもいろいろ変わったんだ。

ガスも水も電気も、わたしには足りているけれども

「ふつう」の感覚がぐにゃっとなってまだ読んでもらえる文章にはならない。

ネットをみてもわたしが寄り添える言葉がない。

 

歩き歩きつづけた当日。

いつまで歩くんだろうと呆然となった翌日。

すこしつかれている自覚はある。

会社にはもっともっと大変な生活をせざるをえないひとも

ちゃんと仕事にきている。弱いんだ自分。