ぬかるみがち

見聞私感

1978年とわたし。2018年のわたし。

周年記念というものがある。

便利だ。

5年だったり10年だったり。

螺旋はそんな周期で「思い出せ」だの迫ってくる。

今年の初夏に知る高橋ユキヒロさんの周年記念コンサートとかつてのアルバムのボーカル新録音というニュース。わたしがだいすきなアルバムのソレだ。

1978年リリース。

その当時はかぐや姫だの風だのクラウンレコード周辺を聴いていたのでお洒落なユキヒロさんのアルバムリリースは知らなかった。その翌年に週刊セブンティーンで坂本龍一のカバンの中身公開というアイドルか、な写真をみてヒトメボレ→イエローマジックオーケストラというたった三人のオーケストラに興味が湧いたのである。そしてラジオでその三人を追いかけるうちに、ユキヒロさんの「サラヴァ」のアルバムを知る。それから40年。

 

え、40年ってこんな時間の流れ?子どもの頃の「よんじゅうねん」というのは遠い遠いとても波瀾万丈な異次元だった。なんてことない。よんじゅうねんのうち、すきな音楽もあればいやだなという音楽も聴いてきた。

 

で。いま。AppleMusicで好んで聴くのが1978年あたりの音楽だ。トシだといえばそこで終わる。懐古といえばそれは間違いでもない。でも、やっぱり「いいなー」と素直に思える音楽がそこにある。当時FM雑誌がいちばんの音楽情報源であった。番組表をみて「あの番組でアレがかかるはず」とカセットテープを準備しレコーダーのスイッチから指を離さなかった。聞き逃せないのだ。アルバム2500円は1ヶ月のお小遣いでもある。1枚買ったらそれでおわり。仮病をつかい学校を休んでレコードを聴いていた。

 

そういう聴き方をしているから、いまの配信聴き放題はちょっとこそばゆい。悪いことしているような気持ちもうっすら。いやかなり厚め。ぽぽんと検索すれば音楽を聴くことができる。聴きたいレコードを探し回ることもない。でも誇らしげに入手した12インチのレコード袋を脇にかかえた「ふふふん」な高揚感はもう得られないのかもしれない。

40年たっても、ユキヒロさんの「sunset」に胸熱くし。ユーミンの歌詞に「おおっ」となるのだ。いまのお気に入りは「街角のペシミスト」である。なんというサウンドと歌詞世界。「けれど平凡だけはいやよ」が来るべきバブル時代の種だったのではなかろうか。なんていまだから思う。

 

「最新」のユキヒロさんのボーカルは年季が入っていそうで実はちょっと戸惑うくらいに若いのだ。サウンドは輪郭がピンとしてほんとうに気持ちのよい音の重なりと編み上げ。Saravah!Saravah!は「La Rosa」にはまりまくっている。延々とリピートしても歌い方も演奏も音の置き方も、最後の数秒からまたギターソロなの?と贅沢極まりないことの発見ばかりだ。ほんと名盤。すばらしい。だいすき。愛している。コーラスのアイデア、はあ、もうため息ばかりだ。愛してる。

 

1978年のわたしは2018年のわたしを想像できていなかった。もっと音楽から離れた生活をしているものだと思ってた。2018のわたしは、1978年のわたしにヨシヨシと頭を撫でてあげたい。よくぞあのとき、あの週刊セブンティーンを買ったものだ、と。

 

Saravah Saravah !

Saravah Saravah !

 

 

 

昨晩お会いしましょう

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