ぬかるみがち

見聞私感

地震のあさ

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あの日。6月18日 月曜日

テレビは火野正平の「こころ旅」いつものこと。

それを聞きながら洗面台で化粧をするのが常だった。

あの時間、いつもだったら眉を描いていたかなあ。

たまたまその日は、火野正平をみながら洗濯モノを畳んでいた。

 

どん!と下から突き上げる響き。

(揺れ中)ん?なんだこれは

(揺れ中)よし地上波NHKで確認しよう→チャンネルかえる

(揺れ中)なにも字幕ないじゃん

(揺れ中)じゃ なんだこれは

緊急地震速報 スマホもアラーム

(揺れ中)揺れのほうが速かったか 震源地図確認

(揺れ中)えええ?関西?なんで大阪なの?

(揺れ中)千葉じゃないの?

(揺れ中)なにすればよかったのかな

(揺れ中)頭上をみあげ落下するものがないか確認

(揺れ中)揺れがおさまったら玄関ドアの鍵を開ければいいんだな

(揺れ中)おっと なかなかしつこい地震 人生初の体感

 

と、数秒の間にこれほど感じられたのは、

割れたり壊れたりしたものの「音」が自分の家にはなかったからだ。

ザーやガタという音はしたものの、ガシャンはなかった。

そしてすぐに「どうやって職場にいけばいいのかな」だった。

6弱。

マンション住まい。

震源の街とはちょっと離れてはいるが、近所の知人宅は

「食器棚の隙間から食器が落ちて割れて、テレビも落ちた。

仕事にいくなんてまったく考えられなかった。上階のおうちは

食器棚も倒れたよ」とのことだ。

 

わたしは片付けが下手でありのままに雑に生きている。(あかんやつ)

CDも積んでいるけれど、ズレただけで倒れてはいない。

それが不思議だ。

落下物がなく、その「音」に惑わされることがなかったため

パニックにはならずにすんだのではないだろうか、と地味な持論。

 

その後、家の中のあれこれに不具合もないため、気持ちは「出勤」に向く。

いま思うとなぜにあんなに妙な情熱を持って出勤を試みたのか不明だ。

鉄道がすべて動いていないこともわかっていたが、リュックに荷物を詰め込み、最寄り駅に向かった。人々の動き・駅員の対応を確認。小雨の中、仕事場へ徒歩で向かうことにする。

仕事を休めばいいのに歩きたかった。以前「なにかあったときに歩いて往復できるか」検索したこともある。片道2時間10分。大丈夫な気がする。

線路沿いに歩き始めた。

 

歩きつつ、そういえば金曜日は「声を出すくらい痛かったな、いつもの神経痛」と思い出す。